ファミコン版「スペランカー」制作者による裏話がここに。御年70歳,業界歴37年の現役クリエイター,スコット津村氏が振り返るあの頃

  • 更新日:2012年7月24日

 ファミリーコンピュータ(以下,ファミコン)黎明期の1985年12月にアイレムから発売された,「スペランカー」という作品をご存じの方も多いだろう。自分の身長程度の高さから落ちるだけで死んでしまうという,「テレビゲーム史上最弱」と讃えられた(?)冒険家が主人公として活躍するアクションゲームだ。ひ弱な主人公の伝説は,当時その難度に歯ぎしりしたファンから,その頃まだ生まれていなかった若いプレイヤーにまで広く伝えられ,発売から27年が経過した現在も愛され続けている。


「みんなでスペランカー」


 そんなスペランカーをこの時代にリメイクし,「みんなでスペランカー」として,日本の現地法人と共に自社ブランドでリリースしているのが,北米に本社を持つTozai, Inc.(以下Tozai社)で,ブランドはTOZAI GAMESだ(編注:そのままトーザイ ゲームスと読む)。そして,同社でシニアアドバイザーの役職に就いており,みんなでスペランカーの仕掛け人でもあるゲームクリエイターが,スコット津村(Scott K. Tsumura)氏という人物である。

 スコット氏は,これまで業界の表舞台に立ったことはほとんどなく,おそらく,その名を初めて聞くという人が大半ではなかろうか。しかし氏は,1980年代に「ロードランナー」「スパルタンX」「ムーンパトロール」「ジッピーレース」「10ヤードファイト」といったアイレムの初期アーケード名作の数々を手掛け,ファミコン版スペランカーの制作にプロデューサーとして並々ならぬ情熱を注ぎ,今日(こんにち)まで,裏方として30年以上ゲーム業界を支えてきた経歴を持っている。30代,40代のゲーマーであれば,必ずどこかで一度は,氏の作品を遊んだことがあるはずだ。

 今回,そんな氏が来日するという情報を聞きつけたので,取るものも取りあえずお会いし,お話を聞かせてもらうことにした。当時の制作裏話はもちろんのこと,謎に包まれた経歴や,現在のゲーム業界について思うことを,スコット氏自らにお話いただいたので,ぜひ一読を。



Tozai社シニアアドバイザー/エグゼクティブプロデューサー
スコット津村氏

 現在シアトルに住む氏の趣味は,写真。(ご本人はおそらく謙遜すると思うが)プロ顔負けの写真を,粛々とご自分のブログに掲載する。写真に付いた,どこか優しい短いコメント共々,氏の人となりを大変よく表していると思うので,ぜひご覧いだだきたい。また,氏はヨドバシカメラのWebサイト上で写真エッセイ「The Wind from Seattle」を連載している。



御年70歳,業界歴37年のスコット氏
人生を変えたのはロードランナーとスペランカー



4Gamer:本日はお時間をいただきありがとうございます。今回,スコットさんが来日すると聞いて,ぜひお話をうかがえればと思いまして,無理矢理時間を作っていただきました。ありがとうございます。

スコット津村氏(以下,スコット氏):こちらこそ,ありがとうございます。

4Gamer:スコットさんは,非常に長い間ゲーム業界にいらっしゃいますが,これまであまり表に出てくることはありませんでしたよね。

スコット氏:そうなんですよね。ゲームへの関わりはすごく長いんですけど。
 それじゃあまずは,僕の人生を変えた「ロードランナー」と「スペランカー」という,2つのゲームとの運命的な出会いについてお話させてください。

4Gamer:ぜひお願いします。スペランカーやロードランナーというと,懐かしさを感じますが,そもそもスコットさんは,ゲーム業界に身を置いて何年になるのでしょう。

スコット氏:確か1975年頃からなので,そこから数えると37年になります。

4Gamer:37年前というと,僕はまだ5歳の子供ですね……。失礼ですが,今はおいくつなんでしょうか。

スコット氏:70歳です。

4Gamer:もっとお若いかと……。

スコット氏:よくそう言われます(笑)。
 37年前の当時,そのころの僕は日本人だったんですが(※現在はアメリカ国籍を得ている),テレビゲームが流行する以前の時代にゲーム業界に携わりました。当時は,アイレムの前身となるIPMという会社にいたんです。

4Gamer:後にカプコンを創業する,辻本(憲三)さんが立ち上げた会社ですね。

スコット氏:そうです。よく知ってますねえ。その頃のゲームといえば,コインを入れるとランプがカチャカチャ回って当たりか外れかが出るような,子供向けのものしかなかったんですよ。IPMはそのレンタル事業を行っていました。

4Gamer:そこから,どういったきっかけでテレビゲームに関わることに?

スコット氏:1976年に「スペースインベーダー」が登場したのが大きな転機になりました。インベーダーを見て,IPMでもテレビゲームを作ってみようということになったんです。で,交流のあった京都の村田製作所に「テレビゲームを作ってくれ」とお願いしてみたんですよ。村田製作所はテレビゲームなんて作っていなくて,完全に場違いな相談だったんですけど(笑)。

4Gamer:そもそもなんで相談したんですか,それは(笑)。

スコット氏:いやあ,あの頃は若かったので,無鉄砲だったんでしょうね。
 ところが,場違いにも関わらず,「関連会社がOEMで電子機器を製造しているから,そこに相談してみたらどうか」と,非常に丁寧に対応していただけました。そこで紹介してもらったのが,七尾電機(編注:当時すでにあったナナオに,この後組み込まれ子会社となる)だったんです。

4Gamer:ディスプレイで名を馳せる前のナナオですね。

スコット氏:ええ。そして話を持っていったところ,面白そうだからぜひ作ってみようということになり,七尾電機さんもゲーム業界に参入し,テーブル型のゲーム筐体を手掛けるようになりました。テレビゲームの隆盛は,彼らにとってもチャンスだったようで,彼らが持っていたディスプレイの技術と,テレビゲームというマーケットがうまく合致したんですね。

4Gamer:ちなみに,スコットさんはそのときはおいくつでした?

スコット氏:確か1977年だったので,35歳ぐらいかな?

4Gamer:当時はまだ,終身雇用制が普通に機能してましたし,35歳というと上のほうの役職に就かれていてもおかしくはないお歳ですよね。当然,それまでにいろいろとお仕事はされていたかと思いますが,どういった経歴をお持ちなのでしょう。

スコット氏:実は,テレビゲームに関わるまでに,十数回職を変えているんですよ。

4Gamer:それはまた,なんとも壮大な職歴ですね……。

スコット氏:経歴を話そうと思うと,一晩かかってしまいます。いいですか?(笑)

4Gamer:ぜひともお聞きしたいんですが,今回は10分くらいでお願いします(笑)。

スコット氏:ざっと思い出してみても,先物相場のセールスマン,貿易会社での小物の輸入,バーテンダー,服屋,病院の車の運転手,内装や配管土木の職人,それから塗装関係……。

4Gamer:覚えているのがすごい。しかし,なんでまたそんなに多くの職業を?

スコット氏:当時の僕は,新聞広告に出ている求人欄を見るのが好きだったんですよ。あれを見ていると,それぞれが一体どういった商売なのかが気になって,とにかく自分でやってみたくなるんです。自分の将来をどうするかよりも,いろいろな世界を知ってみたいという欲求のほうが強かったんですね。一つのところに勤めて,そこで人生を全うしようという気はまったくない。言ってみれば,フリーターの元祖です。

4Gamer:当時,30歳過ぎまで定職を持たずにフラフラしているというのは,それなりの覚悟が必要だった気がしますが。

スコット氏:社会的にはそうかもしれませんが,僕には覚悟はまったくありませんでしたよ。

4Gamer:そうなんですか。

スコット氏:逆にそういう気持ちを持ってしまうと,何もできなくなってしまいますから。僕は,食べていくだけなら,皿洗いでもなんでもやればいいと考えていたので,とにかく自分の興味があるものを試してみたかったんです。そうしていれば,そのうち自分の進むべき道が決まってくると思っていましたから。

4Gamer:なるほど。終身雇用と,それに伴う社会保障という,当時の社会のあり方とは逆を向いた生き方ですね。

スコット氏:そうなんですよ。当時は,その人の経験を尊しとしない時代でしたから,面接で履歴書を見せると「君は尻が軽いね」なんてよく言われました。

4Gamer:それだけの職歴を持っていながら,ゲーム業界には30年以上いらっしゃるんですよね。言うならば,スコットさんにとってゲームの仕事は“水が合っている”んだと思いますが,具体的にどんなところが合っていたと思いますか。

スコット氏:“楽しみを売る仕事”だからでしょうね。ゲームを遊んでいて嫌になる人って,普通はいませんよね。ゲームは楽しいものですから。それを売る仕事はとてもやり甲斐があります。

4Gamer:ではゲームに対してやりがいを初めて感じたのは,どのタイミングでしょう。

スコット氏:そうですね……アイレムで,アーケードゲームの取締役開発部長をやっていた頃ですかね。

4Gamer:当時のアイレムというと,「ジッピーレース」あたりでしょうか。

スコット氏:そうそう! ジッピーレースは僕がやりました。「ムーンパトロール」や「スパルタンX」なども,僕のプロデュースした作品ですよ。

4Gamer:アイレム初期の黄金タイトルじゃないですか!

スコット氏:アーケードゲームの全盛期でしたね。部下に優秀なゲームデザイナーやプログラマーが多くいました。彼らは現在も,業界で非常に重要な仕事をしていますよ。いまの4Gamerの読者の皆さんも,名前は知ってると思います。
 ちょうどその頃,僕はプライベートで「ロードランナー」にハマっていたんですが,それを世界的に売っていたブローダーバンドという会社の社長が来日して,お会いする機会を得たんです。

4Gamer:ブローダーバンドとはまた,懐かしい名前が出てきましたね。

スコット氏:あなたくらいの歳だと懐かしいでしょう? 後にアイレムは,ブローダーバンドからライセンスを受けてファミコンでスペランカーを作ることになるんですけど,その前に,アーケードでロードランナーを作っていたんです。実はその時,ロードランナーでアーケードゲーム業界からちょっとした反発がありまして。

4Gamer:どういった内容でしょうか。

スコット氏:「PCのゲームを我々の業界に持ってくるとは何事だ!」というんですよ。アーケードゲームがPCに移植されることがあっても,PCのゲームをアーケードに移植するのは許さないという言い分ですね。
 当時,アーケードゲームは面白くなければ遊んでもらえないし,長く遊べすぎてもビジネスにならないという,両者のはざまをうまく引っぱっていくことが求められた業界でした。一方のPCゲームは,ソフトを買ってしまえばずっと遊べるものなので,その作り方の違いは,アーケードの人達にとって,プライドが許さないものだったんですね。

4Gamer:……昔も今も,一部の業界人はなんだか同じようなことを言ってますね。

スコット氏:うん,昔からそうなんだよね。ところが,そんな声を押し切って発売したアーケード版ロードランナーは大成功して,最終的にシリーズで4本出ることになりました。

4Gamer:あれ,そんなにあったんですか。それは恥ずかしながら知りませんでした。

スコット氏:そのぐらいヒットしたんです。そんなロードランナーのライセンス元であるブローダーバンドは,当時PCゲーム部門ではElectronic Artsと並ぶほどの勢いがあり,販売力にも余力があったので,日本のPCゲームをアメリカで売り込もうと呼びかけていました。「あなた方はゲームを作って,それをアメリカに持ってきてくれれば,ブローダーバンドのセールスチームがローカライズと販売を行って,ロイヤリティをお支払いします」という内容で。そのころ僕は何をしていたかというと,ブローダーバンドの社長と一緒に,日本のPCゲームメーカーにそのベンチャー企画を紹介して回っていました。

4Gamer:それはロードランナーやスペランカーがきっかけで?

スコット氏:そうなります。そして,そんな僕らの働きかけに対して,日本の13社が賛同してくれて,晴れてブローダーバンドのお膝元であるサンフランシスコに,ジョイントベンチャー企業を立ち上げることが決まりました。ただ,当然,誰か日本人も現地に行かなければならないという話になって,そこでみんなが指差したのが僕だったんです。

4Gamer:ようやく,スコットさんがアメリカに行くまでの話につながってきましたね。

スコット氏:でも,その時の僕は,アイレムでアーケードゲームを作っていたので,PCゲームのことはまったく知らなかったんですよ。それなのに,ロードランナーやスペランカーの成功,そしてブローダーバンドが,僕をアメリカに行かざるを得ない状態にしちゃったわけです。これはもう,運命というものでしょう?(笑)

4Gamer:アメリカからはすぐ帰ってくる予定だったんですか?

スコット氏:もともとは1年だけの予定でした。ただ,日本からアメリカへPCゲームを持っていくシステムは1年で構築できたんですが,僕が渡米した翌年の1989年頃から,任天堂とセガの家庭用ゲーム機がアメリカで爆発的に伸びてきまして。その結果,PCゲームの市場に陰りが見えてきてしまったんですよ。
 そこで僕は「うちも家庭用ゲームをやるべきだ」と進言したんです。ところが,今度はPCゲームの人間が「あんな子供向けのゲームは売れない」と言ってきて……。

4Gamer:歴史は繰り返されますね。

スコット氏:ホントに(笑)。それで,家庭用ゲームを作ろうという僕の意見に賛同してくれたのは,当時PCゲームメーカーだったBPS(Bullet-Proof Software)の1社だけでした。

4Gamer:懐かしいですねえ,BPS。スコットさんの次の行動はなんとなく予想できますが,もしかして……。

スコット氏:ええ,ベンチャー企業立ち上げの目標は果たしたということで,僕はまた会社を辞めてしまいました。そして,BPSのヘンク・ロジャースと一緒に,NINTENDO OF AMERICA(以下,NOA)のあるシアトルで,BPSのアメリカ現地法人を作ったんです。

4Gamer:なんかそうそうたる名前が次々に登場しますね。ヘンク・ロジャースって,「ザ・ブラックオニキス」の作者じゃないですか!

スコット氏:うん,ホントに古い話ですよね(笑)。で,それによって1年で日本に帰るわけにはいかなくなってしまい,そこからシアトルで新たな生活が始まったんですけど……。

4Gamer:また何かトラブルが?

スコット氏:BPSが買収されて,今度は出社のためにサンフランシスコまで行かないといけなくなってしまったんです。でも,そのころすでに家族をシアトルに呼んでいたので,平日はサンフランシスコで過ごして,土日はシアトルに帰るという暮らしをせざるを得なかったんですよ。

4Gamer:……サンフランシスコとシアトルって,ちょっと通うには厳しい距離だと思うんですが。

スコット氏:うん,無理でした(笑)。2年ぐらい続けましたが,さすがにしんどくなったので,またまた会社を辞めてしまいましてね。今度は,1996年にシアトルでコンサルティングの会社と開発会社を同時に設立しました。前者が,現在のTozai社というわけですね。

4Gamer:ここにきて,やっとTozai社の名前が(笑)。

スコット氏:いやでも,僕は一度Tozai社を抜けているんですよ。

4Gamer:え?

スコット氏:実は,その2社の設立後に,任天堂から開発会社の立ち上げに協力してくれないかと声がかかったんです。そこでTozai社は現社長に任せて,僕はシアトルでNINTENDO SOFTWARE TECHNOLOGYという開発会社を設立し,社長を4年間勤めていました。

4Gamer:4年間というのは,期限が決まってたんですか?

スコット氏:いえ,そのときはNOAの荒川社長とずっと仕事をしていたんですが,彼がNOAを退職するということで,僕も一緒に辞めちゃいました。なので,勤めていたのは4年間。

4Gamer:本当に決断が早いというか,スパっと辞めてしまうんですね。

スコット氏:僕の経験上,次の行動は深く考えると間違えるんですよ。もちろん,考えずに決断して失敗することもありますが,何にせよやらずに失敗するより,まずはやってみて失敗するほうがいいですから。
 そんなこんなで,BPSを辞めて以降7社ぐらい会社を転々としていたところ,Tozai社がそれまでのコンサルティング事業だけでなく,自社ブランドでゲームを出すことになりました。その機会にTozai社に戻ってきて,現在に至るというわけです。

4Gamer:ああ,なるほど。TOZAI GAMESブランドの作品は,最近出てきたものなんですね。これまで,ゲームメディアとして仕事をしていながら,スコットさんやTozai社のお名前を耳にする機会がほとんどなかったのは,なぜだろうと疑問に思ってたんですよ。スコットさんほどの業界歴をお持ちの方であれば,もっと話題になっていてもおかしくはないですから。

スコット氏:うん,表立って活動を始めたのは,つい最近の話だから。ともあれ,長くなりましたけど,僕の人生は,ロードランナーとスペランカーで完全に変わってしまったんですよ。この2本がアメリカに渡るきっかけを作ってくれて,今では市民権まで持っているわけですからね。

4Gamer:私ごときの若造が言うことではないですが,とても充実した人生を送ってますね。

スコット氏:ええ,とても楽しい人生ですよ。自分の意識を持ちすぎず,自由に,無理をせずに幸福をつかむのがいいと思うんですよね。人によって幸福の形は違いますが,僕は目の前にある不安定なロマンを,いかに楽しめるかを大事に考えています。

4Gamer:今の若者は――いや,少なからず私もそうですが――そういう生き方を羨ましく感じるのではないでしょうか。

スコット氏:今の社会はお金が中心ですからね。それも一つの目標だと思いますが,それだけじゃない。こういう人生もあるということも,今の若者に知ってもらいたいな。

4Gamer:人間,年齢を重ねていくにつれ,人生に対する考え方がなんとなく変わっていくじゃないですか。僕も若い頃は何かを成功させたいと思っていましたが,40歳を過ぎるとそれがなくなって「何を成したか」のほうが重要だと思うようになってきました。
 ただ,スコットさんは流れに身を任せるような生き方を貫いていて,とても羨ましく思います。とくに今の時代,その生き方ができる人は少ないでしょうし。

スコット氏:何歳だからこれをしなければいけないとか,こんな歳でこんなことをしてはいけないという意識がまったくないんですよね。今は70歳ですが,機会があれば恋もできます。もちろん,家族には内緒ですけど(笑)。
 僕は年齢の枠をあまり考えたことがなくて,ふと気付いたら70歳だったんですよ。もちろん肉体的には衰えていますが,精神的な衰えはまったく感じません。

4Gamer:スコットさんは,お話をしていても本当にお若く感じます。僕は近所のボランティアセンターなどで,スコットさんと同年代の方々に会う機会が多いのですが,スコットさんほど若々しい方は見たことがありません。一体何が違うんでしょう?

スコット氏:興味が足りてないのかもしれないね。

4Gamer:すなわち,刺激と言い換えてもいいですか?

スコット氏:うん,刺激でもいいです。何かを見たとき,誰かといるとき,その時その時で興味が沸いてくるというのが大事なんですよ。外を歩いていてサワサワと音が聞こえたとき,青葉が春風になびいていることに気付いて豊かな気分になるとか,そんな感性を保つことも若さの秘訣なのかもしれませんね。


ゲームはインタラクティブだからこそ地位が向上しない



4Gamer:ところで,業界歴の長い方にインタビューをするとき,必ず聞いている質問なのですが,ゲームというエンターテイメント産業の社会的な価値が一向に上がっていかないのは,なぜだと思いますか。
 たとえば映画や日本のアニメはすでに文化として,産業として,成立していますよね。ただ,ゲームはまだそのステージには立てていないと感じているんです。

スコット氏:それは文学性がないからじゃないかな。

4Gamer:またスパッと即答されましたね。文学性,ですか。

スコット氏:うん。ゲームには映画や文学のように,心の中に入ってくる奥深さがないと思うんです。ゲームはあくまでインタラクティブなエンターテイメントですよね。

4Gamer:ええ。

スコット氏:それはつまり,物語を自分で作っていかなければならないということです。プレイの仕方次第で浅くも深くもなるので,遊んだ人によって受け取り方がまったく変わってきてしまう。だからゲームというのは,高い文学性には到達できない運命を背負っているんだと思います。
 ただ,もちろんゲームはエンターテイメントのいちジャンルでもありますから,無理に映画や文学と比較する必要はないとも思いますけどね。

4Gamer:もちろん僕も,ゲーム産業も同じようにならなければと考えているわけではありません。ただ,言い方は悪いですけれど,マーケットや業界そのものの“格”が上がれば,もっとお金が動いて,優秀な人材も集まってきますよね。より多くの人が入ってくることで,より多くのタイトルが作られて,より多くの人が楽しめるようになる。そんな正のスパイラルに入ってもらいたいんです。

スコット氏:それは僕も痛いほど経験したから,よく分かります。今でこそ,任天堂にしろコナミにしろカプコンにしろ,一流企業と呼ばれていますが,昔は「ゲーム屋」なんて呼ばれていたじゃないですか。もともと博打から派生したような稼業ですし,ゲームに対してその頃の観点や偏見が少なからず残っているのは事実ですよね。

4Gamer:スコットさんぐらいのお歳の方――つまり私の両親くらい――になると,皆さん「ゲーム!?」っていう顔をしますよね。

スコット氏:そうなんですよ。ゲーム=悪という感覚を持っている人は多いと思います。

4Gamer:ただ,今では当たり前のようにリビングに置いてあるカラーテレビも,昔は悪だと思われていました。ゲームも,時間と共に意識が変わっていく可能性はあるのではないでしょうか。

スコット氏:難しいと思いますよ。まず,ゲームって遊ぶのに時間がかかりますよね。気持ちを入れ込むとどうしても長時間プレイしてしまいますし,長く遊びたくなるような作品でないと,良いゲームとは言われません。でも,10時間じっと座ってその世界に籠もりきるようなエンターテイメントは,当然ですが社会的な反発を受けるわけです。

4Gamer:ゲームの特徴であるインタラクティブ性が,ある面ではデメリットにもなりうるということですか。

スコット氏:そうですね。地位が向上しない宿命にあるジャンルなんだと割り切らざるを得ない。
 ただ,テレビほどとまではいかなくても,僕が若い頃を考えたら,ゲームもたいしたものになりました。

4Gamer:次のステージに立てていないというだけで,前進はしていると思います。たとえばですけど,1994年にソニーからPlayStationが発売され,ゲーム機がリビングに進出してきたことは,大きな起点だったでしょうし。

スコット氏:そうそう,ソニーやマイクロソフトのような会社がゲーム業界に参入してきたことで,格は上がりました。昔は,今以上にゲームは悪いものだと思われていたんですから。
 だから,一般に認められようなんて仰々しいことを考える必要はありませんよ。ゲームはインタラクティブな文化ですから,楽しめる人が楽しんでくれれば,それでいいじゃないですか。

4Gamer:業界に長くいる方ならではというか,スコットさんらしい見解ですね。ここでも“流れに身を任せる”という感じで。
 もう一つ,今回の話題の中心である「スペランカー」つながりでお聞きしたいのですが,よく「昔のゲームは良かった」というようなことが言われたりしますよね。

スコット氏:ええ,よくあるお話ですね。

4Gamer:これがただの懐古主義的な感覚なのか,それとも年齢的な問題なのかはともかく,僕自身も若干なりとも実感している部分はあるんです。学生時代はみんなで1人1本カセットを持ち寄ってゲームに挑戦していましたし,個人的にPlayStationぐらいまでのゲームは,単に攻略本とかを見ているだけでも楽しかった。しかし,今はもう,見たらすぐにお腹いっぱいになってしまう。
 ただ,今のゲームのほうが,お金も手間も遙かに掛かっていて,見た目は当然キレイですし,UIもサウンドも洗練されています。にも関わらず,昔のゲームのほうが良かったと言われるのは,なぜだと思いますか。

スコット氏:求めている満足感のポイントが変化したからじゃないかな。例えばビジュアルが美しいと満足感は得られますが,それに慣れてしまうと当たり前になってしまう。逆にそれよりもビジュアルの悪いゲームは,見向きもしなくなりがちです。

4Gamer:つまり,ユーザーが満足感を得られる部分そのものが減っている?

スコット氏:とくに,近年の大型のゲームは,だいたいそういった流れにありますよね。いくらビジュアル的に驚くようなものでも,ゲーム自体は一度遊ぶと意外性がなくなって,二度と遊ばなくなってしまったり。
 その一方で,ソーシャルゲームのような,短時間で遊べて自分があまり入り込む必要のないゲームという,まったく逆の存在も登場しているんですよね。

4Gamer:こういう仕事をしていると,あらゆるゲームの情報が入ってきますが,その二極に進んでいるゲームが本当に多くなったと感じます。その真ん中の部分が,すっぽり抜けてしまっているといいますか。

スコット氏:そうなんですよ。昔のゲームと今のゲームでは,楽しみ方がガラッと変わってしまったのでしょう。
 でも,僕としては,その真ん中のゲームを作りたいと思うんです。そもそも,クラシックゲームというものはその位置にあるべき存在だと思いますから。


スコット氏が語るスペランカー制作秘話



スコット氏:そうそう,僕はロードランナーとスペランカーで人生が変わったわけだけど,TOZAI GAMESブランドが立ち上がって,その記念すべき最初の作品になったのも,これまたロードランナーなんですよ。ロードランナーの権利は,制作者のダグ・スミスが持っていたんですが,Tozai社は彼が手放した権利を買い取ったので,自社ブランドで出せるようになったんです。

4Gamer:ダグさんとはお知り合いだったんですか?

スコット氏:ええ。アイレムでアーケード版を作っていたときに知り合って,彼を日本に呼んでマーケティングをやっていました。彼の嫁さん探しを手伝ったこともありますよ(笑)。

4Gamer:知り合いとかいうレベルじゃなかったですね(笑)。

スコット氏:そう(笑)。彼だけでなく,スペランカーを作ったティム・マーティンとも,同じような関係でした。スペランカーも,やはり作者である彼が権利を持っていたのですが,彼と相談して,Tozai社が権利のすべてをマネージメントするという長期契約を結んだんです。現在,コピーライトにティムの名前が入っていますが,実際の権利はウチが持っています。

4Gamer:スペランカーは,現在のゲーマーの間でもその名前が生きているじゃないですか。当時遊んだ人はもちろん,生まれていなかった人にまで知られています。これはすごいことですよね。

スコット氏:僕も驚いています。あんなにひ弱で腹の立つキャラクターを,こんなにも皆さんが愛してくれているのかと思いましたから。

4Gamer:僕が最初に遊んだスペランカーはCommodore版でしたが,あんなに弱くはなかった記憶があるんです……。ファミコン版はなぜあんなに弱いんですか?

スコット氏:当時の日本のゲーマーはすごく我慢強く,それでいてチャレンジ精神が旺盛だったので,こちらもチャレンジさせてあげたくなったんです。それに,難しさがゲームの特徴の一つにもなるかなと。

4Gamer:実際に特徴になりましたよね。コウモリのフンで死ぬ主人公なんて,世界のどこを探してもほかにはいません。

スコット氏:それを腹立たしく馬鹿にする人もいれば,愛して止まない人もいて,話題にはなりました。“世界最弱のキャラクター”という,ちょっと哀愁のある感じですけど。

4Gamer:何かを作り出して,話題ならないほど悲しいことはありませんから,良き結果だったと思います。

スコット氏:そうなんですが,実は作っていた当時はいろいろと揉めました。なぜこの距離のロープに飛び移れないのかだの,こんな高さで死ぬのかだの。最終的には,このゲーム性でチャレンジしてもらおうという設計で落ち着きましたが。

4Gamer:いろいろなものが許容されていた当時の話とはいえ,あの難度にGoサインが出てしまうのもすごい話ですよね。

スコット氏:難しくしすぎて,アメリカでは売れませんでしたけどね(笑)。でも,あの難しさはすごく気を使ってバランスを取ったんです。全体的に難しいのであれば,それがゲームの設計になりますが,ただ1か所の操作がシビアであまりに難しいとなったら,それはユーザーからしたらバグみたいなものですから。

4Gamer:当時,発売後の評価はいかがでした?

スコット氏:やはり賛否両論でしたね。「自分はここまで進められた!」という満足感が得られたという人がいる一方で,「こんなに難しいのはゲームじゃない,馬鹿にするな」という声もありましたから。
 そういえば,スペランカーの音楽も僕は気に入っているんです。ファミコン版の音楽は,オリジナルの音楽とアイレムで作曲した音楽との合体なんですけど。

4Gamer:あ,そうだったんですね。

スコット氏:ATARI版からあるタイトル画面のオープニング曲はティム・マーティンが作って,メインのBGMはアイレムが作ったんですよ。

4Gamer:それは初耳です。そういえば,タイトルとメインBGMは,まったくノリが違いますね。

スコット氏:これは初めて人に話すことなんですが,あれにはちょっとしたモチーフがあるんです。確か1967年でしたか,アラン・ドロンとリノ・ヴァンチュラが出演した「冒険者たち」という,フランスのロマンチックな冒険映画があったんですけど……。

4Gamer:なんかまた予想外の内容が始まりました(笑)。

スコット氏:いつもそう(笑)。それでそのメインテーマが,ワイルドなメロディと優しいメロディが交互に流れるという,絶妙な曲だったんです。それに感動して,なんとかスペランカーにあの雰囲気を入れられないかと僕が音楽担当者に相談して完成したのが,あのメインBGMなんです。

4Gamer:そんなところに原点があったとは……。私はその映画を観たことがないんですが,実際に知っている人からすると,モチーフであることが分かるものですか?

スコット氏:もちろんメロディは全然違いますが,曲調が変化する雰囲気は伝わると思いますよ。

4Gamer:スペランカーといえば,個人的にはほかにも,LEDがついたカートリッジが印象に残っていたりします。

スコット氏:よくぞ聞いてくれました! 実はあれも僕の思いつきなんです。

4Gamer:なんと。スコットさんが発案者でしたか。

スコット氏:ファミコンって,電源を入れてもオンオフがわからないでしょ。電源が入っているのにカセットを抜いてしまうことがよくあったので,LEDでそれが分かるようにしたかったんです。
 ところが,カートリッジに穴を開けてLEDを仕込むなんて手間がかかりますから,任天堂さんに嫌がられてしまったんですよね。

4Gamer:それはそうですよね……。なぜOKが出たんですか?

スコット氏:実は「スパルタンX」が原因なんです。

4Gamer:もう慣れましたが,また予想外の名前が出てきましたね(笑)。どういうことでしょうか。

スコット氏:あれのアーケード版はアイレムが作りましたが,ファミコン版は任天堂から発売されましたよね。本当は,僕はアイレムのファミコンソフトの第1弾をスパルタンXにしたかったんですけど,当時,任天堂の宮本さん(現・任天堂専務取締役情報開発本部長 宮本 茂氏)もどうしてもスパルタンXをやりたいといって,アイレムと交渉していたんです。  そんなこんなの交渉中に,上層部の人が親会社のナナオの社長に直談判して,僕らになんの相談もなく(任天堂がファミコンでスパルタンXを出すことの)OKが出てしまったんですよ。僕はそれに怒ってね。それが任天堂への「貸し」になって,LEDカートリッジを出させてもらえることになったんです。

4Gamer:宮本さんのそんなエピソードを話せる人も,なかなかいませんね。

スコット氏:宮本さんとは今も仲がいいですよ。いろいろとアドバイスも受けています。


今後はスペランカーとロードランナーを日本で展開していきたい



4Gamer:ところで,国内TOZAI GAMESブランドのオリジナルタイトルとしては,「みんなでスペランカー」が第一弾になるんですね。



スコット氏:Xbox 360でマイクロソフトから,Tozai社制作の「Lode Runner」と「R-Type Dimensions」が発売されていますが,自社発売としてはそうなります。あれは,ちょうどスペランカーをマネージメントする契約を結んだ頃に,坂野さん(TOZAI GAMES日本法人の代表である,坂野拓也氏)からスペランカーに対する熱い思いを相談されて,制作することを決めたタイトルなんです。

4Gamer:みんなでスペランカーは,最初はアイレムから発売されましたよね。あれは,やはりファミコン版があったからなんでしょうか。

スコット氏:そうです。ただ,アイレムがゲーム事業を縮小することになったので,それなら自分達でやろうと,坂野さんと僕らがTOZAI GAMESを扱う日本法人(株式会社Tozai Games,以下Tozai Games)を設立し,アイレムからライセンスバックしたスペランカーを自社のゲームとして日本で販売できるようにしました。
 ただ,「TOZAI GAMESがスペランカーの権利を取得した」というと,すごくビジネスライクに聞こえてしまうんです。「スペランカー=アイレム」というイメージを持っているファンであれば,「どうしてTOZAI GAMESがスペランカーを?」と思われるかもしれませんし。

4Gamer:日本は法人格が強いので,クリエイターの名前よりもメーカーの名前を優先してしまいがちですよね。欧米的な発想だと,「Sid Meier's Civilization」「Tom Clancy's Ghost Recon」みたいに,人の名前が先に立つことも多いですが。

スコット氏:でも実際,僕はファミコン版「スペランカー」をプロデュースし,坂野さんは「みんなでスペランカー」を企画した中心人物ですので,我々以上にスペランカーに愛情を込められる人間はいません。新旧オリジナルの制作者なんですから。なので,そこは安心してもらいたいです。

4Gamer:みんなでスペランカーの今後の予定はどういったものになるんですか?

スコット氏:しばらくはアップデートを続けていく予定です。おかげさまで,みんなでスペランカーは好調なので,皆さんの期待に添えるよう続けていきます。  なにせ,スペランカーは僕の人生も変えた運命のタイトルですからね。個人的には,今後なんとしてもスペランカー,そしてロードランナーを日本で続けていきたい。

4Gamer:お,続編もありますか。

スコット氏:そりゃあ,もちろん作りたいです。

4Gamer:それは聞き捨てならないニュースですね。何か次回作に向けてのご予定はすでにあるんでしょうか。

スコット氏:うん,なんにも考えてない(笑)。

4Gamer:さすがの即答です(笑)。

スコット氏:もちろん,日本のTozai Gamesとしては,今後の展開が予定されていると思いますが,僕の中に具体的なプランはないかな。とりあえずは,スペランカーとロードランナーを主軸に,クラシックゲームを再構築していきたいと思っているぐらいです。  何か良いアイデアはありませんか?

4Gamer:え,ええ? ええと,単純な考えであれば,みんなでスペランカーがあるんだから,次は「みんなでロードランナー」的なものでしょうか。人が掘った穴は落ちても大丈夫とか,相手の頭の上を渡ったりとか,そんなルールで。

スコット氏:いいね,それ! 考えておきます。

4Gamer:楽しみにしています。ただ,今後スペランカーやロードランナーを展開していく一方で,どうしてもビジネスとしてのお話もありますよね。スコットさんとしては,一体どんな結果が出せたら成功だと思いますか。

スコット氏:それは簡単な話で,皆さんに楽しんでもらえて,我々が食っていければ成功です。ややこしいビジネスプランは置いといて,ユーザーと我々の両方が楽しめれば,それでいいじゃないですか。

4Gamer:シンプルで美しいお答えだと思います。ご存じとは思いますが,昨今のゲーム業界はどちらかというとビジネス面の数字ありきで作られているゲームが多く,ユーザーに楽しんでもらうことが優先されていない傾向が感じられますから。

スコット氏:ユーザーがゲームをコントロールするのではなく,ゲームメーカーがユーザーをコントロールする時代ですよね。それがポジティブなことなのか,ネガティブなことなのかは分かりませんが,昔とは明らかに変わってきているのは事実でしょう。  でも我々は当時のように,ユーザーがコントロールして楽しむゲームを目指しているので,その芯は外さずに,クラシックな面白さを持ったゲームにしていきたいです。もしロードランナーの新しいやつができたら,4Gamerさんも協力してくださいね。

4Gamer:もちろん,そのときはできる限り協力させていただきます。
 本日はありがとうございました。


 日本での,パツパツに詰まった仕事の合間の時間を無理矢理頂いたので,収録時間はさほど長くなかったものの,その内容は濃く,示唆に富むものだった。
 家庭用ゲーム機が一世を風靡する前からゲーム業界に身を置き,現在も活動を続けるスコット氏だけに,時間の都合上その経歴のすべてを聞けなかったのが残念ではあるが,それでも,氏がどのような人物なのか,その一端はお伝えできたと思う。

 その,どこも尖ったところのない,柔らかな物腰と話し方が表すように,何事も楽しみながら,流れに身を任せていく。氏の姿勢でもあるこの生き方を貫くことは,単に選べるレールの本数が増えただけで,ある種の決められた生き方――世間で価値があるとされている生き方,と言い換えてもいい――を選ぶのが当たり前のことである現在においては,なかなか難しい。だからこそ,羨ましく感じつつも,畏敬の念をも持ってしまうことは否定できない。仮にまったく同じ境遇に自分が置かれた場合,楽しそうだという理由で,果たして氏と同じ道を選べるものなのだろうか。
 単に「人生の先輩」であるとか,旧き良きゲームクリエイターであるとか,そういうものだけではない何かを読者の皆さんに少しでも感じてもらえれば,こんなに嬉しいことはない。

 今回語られたスペランカーの歴史は,新旧どちらの作品のファンにも楽しんでもらえたのではと思う。本稿を踏まえてみんなでスペランカーや,Wiiのバーチャルコンソールのスペランカーを遊んでみると,これまでとはひと味違った楽しみ方ができるかもしれない。
 スコット氏はこれからも,スペランカーとロードランナーを中心にクラシックゲームを展開をしていくという。氏の手がけたタイトルを遊んできたいちゲーマーとしても,今後のさらなる活躍に期待したい。


※PCサイト


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――2012年4月27日収録


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※この記事は、4Gamer.netより提供された情報をもとに、テレビ朝日が改変・編集し掲載しています。元記事はこちら

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